Të dua 七夕 2008年7月8日(火) コソボからモンテネグロへ移動 夜行バス
昨日は日本では七夕だという。
しかし七夕の話も今思い返すと、とてもロマンチックだと思う。
この話からも教訓を学ばなければならない。
再会、
再見、
中国語で「さようなら」は「再び見る」と書くので再会の意味もあるのだろう。
おれはひこ星になるのだ。
しかし小学生の頃は大胆なお願いばかりしたなと恥ずかしく思う。
100万円欲しいとかプロ野球選手になりたいとか良く言えたものだ。
9時起床。飛翔!
しかし今日も暑い。
彼は起きていて、急いで支度した。なんせ彼は10時からテストなので9時半前には出発だ。
オレンジーナは寝ていた。
バス停まで彼が着いてきてきてくれて、チケットも通訳してくれた。
目的地のモンテネグロのPODGORICA(ポドゴリツァ)まで21ユーロ(学割は無理だった)、17時から20時まで3,4本出ているらしい。到着は明朝5時とかだ。
やっぱり山で隔てられているらしく直線距離は短いが時間がかかるようだ。
しかしこれも想定外だ。
宿泊先に到着日変更の連絡をしないといけない。
で、とりあえず彼の大学は近くだったので正門前までついていった。
小さな学校だった。
近くのカフェでマキアートを飲んで帰った。0,5ユーロ。
夜まで家でウダウダ過ごすのだ。助かった。
帰りに手土産のケーキを3つ買った。1,8ユーロ。
時刻は11時。
帰るとオレンジーナが寝起きで出迎えてくれた。
おれはこの町で彼女ができたのでここにアパートが見つかるまで住む事になったからよろしく、たぶん1週間以内だと思うから心配しないでくれ。
ふーん、OK。
それからパソコン作業をウダウダするが暑いしぜんぜん進まない。
日記も記事は簡単に書けるが画像の処理にまごつく。
オレンジーナにケーキを日本式で手渡したらやたらウケタ。
みんなどこかに出掛けてしまった。
その隙を見計らってまた一人でインターネットで下の作業をしてしまった、無常。
やはりわたしに個室でフリーインターネット環境は良くないようだ。
モンテネグロ、一体どんなところなのだろう。
オスマントルコの影響がバルカン半島にかなりきているとわかってきたのでこの機会に調べてみた。
そのおかげでわたしはマレーシアから始まったカルマから逃れられないのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD
緑色に髪を染めているオレンジーナのルームメイトが帰ってきた。
30分ほどでまたどこかに行ってしまったが、その時にゴミもついでにだすのだろう、ゴミ袋も持って出た。あれが入っていた。
彼がそれから戻ってきたが30分ほどでまた出かけて行った。テストは終わってこれからパソコンのメンテナンスをしにいくのだという。
暇だが時間の経過が早い。すでに19時。
アパートを出た。
最後にモレナカフェに寄ってバス停まで行くか迷ったがやめておいた。
コソボの夜の動画は49秒
バスは20時にモンテネグロに向けて出発した。
乗客は少なく最後尾の座席で横になって眠ることができた。
国境も簡単に通過。
バスに乗り込んできた係員にいくらもっているか質問された。こっちで働くかもきかれた。コソボから働きに行く人が多いのだろうか。つまりは仕事が多くて物価も高いのか。
朝の4時前に目的のモンテネグロの中心都市であるPODGORICA(ポドゴリツァ)に到着した。
モレナカフェに寄ったら良かったと後悔した、無常。
俺たちは旅を続ける 出会いと別れ
Eddie Vedderの「Hard Sun」と若者
Molokoの「Sing It Black」とオレンジーナ
COME TO MY SWEET MELODY
Gëzuar KOSOVA ! 巡る (グズアール コソボ 、こそぼに乾杯、、、)