エジプトのカイロで映画のエキストラ(1回目) 動画つき
これが始めて海外で働いたと言う経験になった。
2008年2月前後のバフレイヤオアシスの砂漠ツアーから帰ってきて数日したある日、キッチンにいた私に勢い込んで話しかけてきた男、、、新潟君だった。
新潟君はダハブから一緒で砂漠ツアーにも一緒に行ったし、ルームメイトでもあった。おまけに歳も同じだった。
次の日に映画のエキストラのアルバイトがあるから行かないかという話だった。




少し前にここスルタンホテルで出会った人から話は聞いていた。
即決即答した。
人数制限もあったので早い者勝ちだったのだ。
どこからその話が来たのかって?
宿の従業員アフメッドがコネクションを持っており、彼もいくらか知らないがコミッションを稼いでいるようだったのだ。
彼がいないとその話はなかったわけだし、手数料は何でも当然だし、ギャラもまぁまぁだったので、全然納得していた。
何よりも海外でとりあえず働いてみたかった。
それがエキストラになるとは想像がつかなかった。
人数は日本人の男と女が三人づつ、欧米人が数人だったので、日本人の男はそこにいた建築家君に自動でなった。
女の子は長期滞在しているお姉さん二人と猿使いさんになった。
お姉さん二人とはその時点ではほとんど話した事はなかったし、猿使いともそ れほどでもなかった。彼女の彼氏であるキリン君とはまぁまぁだったが。
欧米人は彼も長期滞在している黒革ジャンとメガネのサファリだった。
バイト当日。
朝の8時ぐらいに宿を出発してタクシーに乗り込んでカイロ市内のある場所まで20分ほどで到着。
そこで待つこと15分ほど。
そこにロケバスのような専用バスが来てそれに乗り込んで現場まで行った。
途中でピラミッドの先端が見えたのでギザの方に行ったと思う。
私はまだピラミッド観光に行ってなかったのでこれで行った事にしてやろうとか思った。
で、30分歩で現場に着いた。
閑散とした特徴のない場所で、私有地のような敷地内に入って行った。
そこはいくつか建物があって、けっこう広いようだ。
とりあえず服装チェックをみんな順番にファッションコーディネーターのようなおばさんにやられて、体育館のようなとこに入った。
そこは前方が舞台のようになっており、その前に客席のようなパイプいすが整然と並べられており、エジプト人の男女が座っている。
撮影用のカメラや機材がたくさんみられて確かに映画のロケという感じだった。

とりあえず、始めに並べられている椅子にみんな座るように指示されて、細かい座席の調整で移動があって、しかし、なんか違うかったようで結局座席を取り囲むように配置されているカメラマンの役を猿使いさん以外がやることに落ち着いた。
そこの現場の私たち外国人エキストラをまとめていた人は英語が堪能で、丁寧な対応をしてくれるので良かった。
実は私は日本でも10回ほどエキストラのバイトを経験した事が5,6年前にあったのだ。
そのときはエキストラはやっぱりテキトウな扱いだった。それに不満があったわけではない。
覚えているのは新宿御苑前のあるファーストフードでのロケだ。
上戸彩がまだそんな有名でないときだったが出演していたようで、私が芸能人に疎いこともあってその時はわからなかった。
そのシーンで私は普通に客席に座っていただけだったが、少しカメラに映ったようで、実際に放送されたときに突然友達から電話があったのだ。
誰にもそのことは言ってなかったが、彼は私を発見したようなのだ。ほんの0,3秒ほどしか映ってなかったのにすごいと思った。
他には「めちゃいけ」のプロレスの観客だった。
そのときにアントニオ猪木がきて100人入魂とかやりだして、並んだらそれを受けれたが私はびびって受けなかった。
一番ひどかったのが、私は2つほどエキストラの会社に登録していたが、もう一つの会社の始めての仕事を寝坊してしまったのだ。
ちょっとした役をやってほしかったようで、前日から興奮して眠れなかったのだ。
それでたぶん朝方に寝てしまって、寝坊したのだ。
朝に電話がかかってきて、私は愚かにも眠いので行きませんとか言ったのだ。
ここでテレビに出た話をちょこっと書いておきますが、たまたま新宿のアルタ前にいい時間にいたら例の「いいとも」のオープニングがはじまって、なんとなく映ってしまった。
もう一つもテレビの影響力を感じる出来事だった。
2,3年目に私はアルバイトの営業マンを少しやっていたが、それも場所は新宿で西口。
東京では何かしらのロケが頻繁にあちこちで行われているのでその日も何も意識してなかったが、朝で急いでおり、突然声を掛けられたのだ。
フリーターとニーとを扱っている番組のようで、私のようにしっかりスーツを着て働いている人のコメントが欲しかったようなのだ。
質問は「働くことについてどう思うか」だったと思う。
私は真剣なふりをして、真面目ぶって「やっぱり働くことは充実感があります。数字を上げて結果を残していかないと、、、やりがいがありますね。」的な事を言ってしまったのだ。
数日後。
友達からまた電話がかかってきた。
私のそのシーンがしっかり使われていたのだ。
びっくりした。
メディアの力はやっぱりすごい。
ていうか私は現在は海外ニートだし、当時もアルバイトのフリーターだったのにも関わらず。
で、話は戻って、そのロケはエジプトのかなり大きな映画になるようで、舞台の上の記者会見風の役者も大物なんだろう。
だからアジア人のエキストラが必要だったのだ。




休憩は何回もあり、昼休みになった。
屋外に椅子がテキトウに並べられており、そこで休憩した。
天気は良く、まだまだ寒い日が続いていたが午後の日差しは強くぽかぽか快適だった。
昼食は大きいサンドイッチをご馳走になった。
で、待機が何時間も続く。
私は主に猿使いさんが隣にいたので話していた。
彼女の意外な特技など聞いていろんなひとがいるなぁとか思った。
しかし、暇。
こんなことなら暇つぶしのグッズを持ってくれば良かったと思った。
話のネタもつきてくるし、話疲れる。
やっと出番が来て、体育館に戻る。
カメラマンの役で私は舞台横のポジションになって、固定式の大きいカメラを撮影している役だ。
新潟君と革ジャンは客席後ろ、建築家だけがなかなか配置が決まらなかったのでとても不安そうだった。
彼は結局、お姉さんとメガネと一緒に客席前つまり舞台前でのコンパクトカメラで撮影する役に決定して安堵していた。
この役は少し動きが入るので大変なのだ。
で、何度も何度も永遠と撮影が続いた。
夕方になってもまだまだ終わる気配がない。
休憩は何度もあったし、カットの合間にみんなガンガンに煙草を吸うのがさすがエジプトだと思った。
それは俳優だけでなくエキストラも偉そうにすっているので私もそうやった。
途中で気がついたが、実際に私はまったくカメラに入らない無意味なポジションなのではないかという疑問が湧いてきた。
イチオウ私はそれっぽくカメラで撮影している風を装っていたが空しくなった。
そうなったらいじけてしまう。
で、その後はずっと壁際で座って、ぼーっとしていた。
深夜の12時を回っても終わる気配はない。
もう15時間以上の拘束になる。
あー時間外労働はしたくないが私が何とかできることでもないので気長に待つしかない。
撮影もすでに飽きてしまった。
それに面倒な事に、遅れて夜遅くに来た人が超大物俳優のようで、アドリブで何かやったり、特別に変更してやったりしているようで堪らない。
私は風邪きみなので早く帰りたい。
建築家は大変そうだがお姉さんたちと仲よく楽しそうにやっているのでそれも堪らない。
まぁいい。
で、ようやく深夜1時過ぎに終了した。
宿ではアフメッドが夜食をご馳走してくれた。
気になるギャラは当初は100ポンドは約2000円だったが、150ポンドにしてくれた。
良い思い出と経験になった。
2008年4月6日 エジプトはカイロで執筆