喜びが分かち合える誰か、悲しみを半分にしてくれる誰か 2008年6月28日 マケドニア2 Kratovo(クラトボ)1-1
確かそんな事をミクシィの日記で同い年の男が書いていた。
彼も現在ヨーロッパを旅行しているのだ。
ここでは一人でも積極的になれる人でないと厳しいのは私も実感している。
世界一周している若い女とカイロで出会ったが、次の旅はそういう人と周りたいとか言っていた。
何をぬるい事を言ってやがると思ったが今なら少しわかる。
昨日は待ってる間に駅構内のネット屋に行った。
1時間40マケドニアディナール。約120円。安い?
しかし、またもや文字化けで日本語が読み込めない。もちろん書けないが、たぶんCHASENを使用したら書くことはできるかもしれない。(後でやってみると駄目だった)
まぁ予定の作業を30分で終了させた。コピーした文章を後で自分のパソコンで読んだら、心外なメールが来ていた。
某建築家志望の学生に「ネット環境が悪いからちょっと待って」というメールを送ったのだが、「お金の無いのを理由に言っている」という返信が届いていたのだ!
ちょっと聞いて欲しい。ギリシャは日本語が読めるネット屋は2ユーロ以上するのが普通なのだ。つまり350円ほど。ジュースは飲み放題ではないし、個室でもない。
そんなクオリティーに350円は払えない。1時間の利用で限界だ。2時間はきつい、700円。ドキドキ時間ばかり気にして落ち着かない。
わかった、私が貧乏なのは認めよう。これまでの統計でバックパッカーの中でも「上の下」ぐらいのケチだと思う。(上の上が最大ケチと定める)
しかし逆に考えると賢いのだ。どっちみち物価が安い国にちかじか行くので、その時にまとめて作業する方が効率が良いのだ。優れた経営者はコストを削減できるとこは徹底するのだ。
これで最後だが、こんな事を言うと小さい男だなと思われるのを承知であえて勇気を振り絞ってここに明記しておく。
エジプトはカイロのGAD(ちょっと高めのレストラン)で彼に20ポンド(約400円)の定食をおごったのだ!
朝の7時ごろ、バスに乗り込んだ。
首都のスコピヒャから東へ100キロ未満の少し大きめの町、KURANOVO(クラノボ)だ。
広大な丘が眼前に広がる、すぐに到着して、彼に電話してみた。目的地のクラトボはこの町のどこかにあると思い込んでいたからだ。
どうやらここから更にバスに乗らなければならないようだ。カネが無いので銀行まで行ってATMから1500デナール(25ユーロ)ほどおろした。




バスは更に坂を登って進んでいく。
車内は込んでいたので立っていたがまだ体力は続きそうだ。途中で席が空いたので座ったら前にかわいい女の子がいたのでチラチラ見ていたら、隣の男にきずかれてしまい、写真を撮ったらというジェスチャーをされた。こういうのは恥ずかしい。
丘の中に絵本で見たようなヨーロッパ風のかわいい民家がポツポツ見える。
車内の人の顔は明らかにギリシャとは違う。東欧にちかづいているのだ。
到着したのは結局昼前だった。
小さな村で平和そうだ。しかし彼が見当たらない。迎えに来てくれるとは言っていたが・・・
とりあえずビールを25Dで飲んで大きなハンバーガーを50Dで食った。
彼に電話したいが公衆電話がない。どうやら郵便局にしかないようだ。
そこらへんで腕にいろいろ彫り物が入ったおじさんに付きまとわれて、彼が迎えにくるまで何やら請求してきた。まったく言葉がわからない。
彼が現地人ぽい男と現れた。
彼はインド系アメリカ人でここに1年半ほど住んでいる。
ピースコープというアメリカのボランティア団体で働いており、この小さなマケドニアの町に英語教師として派遣されたのだ。日本でいうと青年海外協力隊員みたいな団体だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Peace_Corps
(数日後に隣国アルベニアでもこの団体で働いている人と出会い、調べてみた。英語です。
また、この機会にボランティアの定義が気になったのでWIKIで見てみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2
(結局わからないままだが何でもいいのだろう。)
しかし暑いがのどかな山間の町並みはとても落ち着く。
とりあえず野菜市が近くでやっているので買い物に出掛ける破目になった。というのも私は思い荷物を持っているのでとりあえず彼の家に置かして欲しかったのだが、少し遠いようだった。

彼は地元の人とたくさん知り合いがいるようだった。小さな町なので人口は4000人ほど、彼は先生なのでちょっと有名なのだ。
もう一人の男はこの時点では彼の友達という事しかわからなかったが、マケドニア語を話して首都のスコピヒャ出身らしい。寡黙な男だ。
それが終わって彼の家に向かった。少し外れにあるマンションの1室がそうだった。
部屋は3つあり、キッチンとトイレ・バスが各一つで広くて居心地が良い。
とにかく私は寝不足なので1時間ほど雑談したあと、昼寝をさせてもらった。

18時過ぎ、彼が起こしてくれた。なんせ私はここに1泊しかできないので観光をしなければいけないのだ。彼は明日、友達とどこかへキャンプに行くようだからだ。


寝ている間に彼が夕飯を作ってくれていた。
インド系なので顔はおもいっきりインド人だがこれまで出会ったどのインド人よりも優しい。まぁアメリカ生まれで両親も金持ちらしい。
彼はインドのテルグー語を話す地域の出なので、私もインドには2ヶ月ほど滞在していたので話は弾んだ。
それでインド料理は旨い、タリーは毎日食っていたという話をしたから彼がタリーを作ってくれたのだ。
ヨーグルトをライスにかけるところが南部っぽくてわかってるなぁと言うと彼の母がしばしば作ってくれるそうだ。
これが旨い。
やっぱり料理は愛情だとうがその通りだと思った。状況も味を劇的に旨くするスパイスなのだ。
味そのものはもちろん旨いが彼の優しさが嬉しかった。
それに東南アジア(ベトナム)料理のトムヤンクンも作ってくれてこれが堪らなく旨い。味は本場以上だった。
毎日、粗食ばかりだったので感動した。食べ物は貴重だなと再実感した。
もう一人の男は食べなれていないのと、辛い料理はマケドニアには無いのできつそうだった。
ここでわかった事だが実は彼も昨日インドの男と始めて出会ったようなのだ。
英語は上手い、マケドニアはあんまり英語は通じない。仕事はなんかやっており、週休2日なのでここに初めて旅行に来たらしい。


町を歩いて見て周った。歩ける広さなのだ。
色んな人に紹介されてつくづく彼の顔の広さに驚く。かわいい子も若者も多い。後でわかったが今は夏休みなので帰省しているようだ。首都のスコピヒャの大学に行ったりしているみたい。それに多くの町の若者は仕事がないため、ここでウダウダ暮らしているのだ。
ちなみにマケドニアの時給は1ユーロか少し安いぐらいだそうだ。それでもこの町の人々は貧しさを感じさせない。オシャレだし、物乞いは一切いない。どうやって稼いでいるのか。観光業はほとんど発展していない。2に続く。