PO アルバニア! 2008年7月1日(火) ALBANIA1 ELBASAN(エルバサン)1  海外旅行をしながら収入ほしい<アフィリエイトで世界一周>
  

  海外旅行をしながら収入ほしい<アフィリエイトで世界一周>

   ブログでアフィリエイトや商品買い付けをしながら世界一周のバックパッカー貧乏旅行中
   2008年7月 アフィリエイト34ヶ月、旅行16ヶ月、釣った魚2匹、使った総額75万円、25ヶ国目のモルドバ
   ホーム> PO アルバニア! 2008年7月1日(火) ALBANIA1 ELBASAN(エルバサン)1 のページです。

PO アルバニア! 2008年7月1日(火) ALBANIA1 ELBASAN(エルバサン)1 

起床!
デジカメの時計を見ると現在5時10分、無常。
また寝坊したのだ。デジカメの目覚ましは4時にセットしてあったが起きた時にはバックパックの奥底になぜかあった。
















しかし眠いが陽はすでに昇っている。
テント裏の喫茶店の親父や周辺の人にアルバニア行きはどうなったか質問したが今日はもう無いらしい、終了。

そういう事なら再び睡眠。
しかし直射日光でテントの中はかなり暑い。
しかし昨晩購入した1,5Lのビッグビールを無理やり流し込んで爆睡。

9時に再び起床。
とりあえず南部にでも移動しようと思ったので準備をノロノロした。
ここは水道もあるのでなんでも洗えるので便利な場所だ。
ペットボトルに水をいれて草むらで大もできる。

喫茶店でエスプレッソを注文して昨晩買った牛乳をグラスを借りて混ぜて飲んだ。
10時前に7,8人の若者が来て英語ができるみたいで話してみたら、南部のSTURGA(ストゥルガ)からもしかしたらアルバニア行きのバスか何かあるかもしれないという情報を得た。
とにかく駄目でもストゥルガでキャンプしたらいいし行ってみる事にした。

10時過ぎにバスが来たので若者たちと一緒に乗りこんだ。
若者たちは高校生で夏休みなので南西部のリゾート地OHRID(オフリド)に2週間ほどバカンスを楽しみに行くらしい。
オフリドはマケドニア人みんながベストプレイスだと言っている世界遺産にも登録されている大きな湖に面した都市だ。
欧米人もけっこう来ているらしいし、日本人もマケドニアに着たらだいたい行くようだ。

いいやつらだったしいろいろ話した。
なんで西部はムスリームが多いのか?
んーわからない。(2,3日後にわかったがオスマントルコの長い統治の影響だろう。)

なんで仕事が少ないのだ?
わからない、多くの若者はイタリアに出稼ぎに行くんだ。(だからイタリア語を話す人が多いのだ。別れ際の挨拶もチャオでいけるのだ。それはアルバニアでも同じだった。)

それで私がアルバニアの真ん中辺りにある都市エルバサンに行けるかどうか周りの人に聞いてくれたらある家族が行くというので一緒に行くことになった。
良い感じのお母さんと娘が二人だった。もちろん英語は一切話せないし私は両国の言葉は話せない。

 

ストゥルガに到着。
私はアルバニアの通貨をちょうど使い切る計画だったので持ってなかったがユーロでしっかりしたレートで支払えた。
DEBARからSTURGAは約60キロ1,5時間、180ディナール(3ユーロ)、高い。。。

若者たちはオフリド行きのバスに乗り換えて行ってしまった。
私は家族とバスを降りて歩いた。

しかし娘がかわいい、特に下の娘は私に興味があるようでちょっと勘弁して欲しい。
これが後で効いてくるのだ・・・

とりあえず腹が減ったしディナールを使ってしまいたかったので上の娘と一緒にハンバーガーを買いにいった。
おごってあげると言ったがいらないと言う。上の娘もかわいいし、オシャレでカラフルな服装が似合う。しかし愛想は良くないがこれが下の娘と逆でコンビネーションになっているのだ。

国境まではタクシーで行くらしくなぜか私が全額負担してしまった。
300ディナールは5ユーロ。きついがどうしようもない。すでにはまり込んでしまっているのだ・・・









母親は中年だがなかなかの美人で言葉はまったく通じないが私をぴったりマークしており、積極的に話しかけてくる・・・

国境は簡単に終了した。ビザはないが1ユーロのタックスを支払った。
ここからはアルバニアの通貨があるのでどうしようかと思い、小さな銀行があったが閉まっていたが、ATMがあったのでとりあえず一番小額の1000を下ろした。便利な世の中だ。

ここからはバスがないらしく、またタクシーだった。
エルバサンの町中までは20ユーロで行けると言うがそれは無理だ。
30ユーロでふっかけてきたドライバーがいたので完全に無視だ。そういう人は後でいくら下げてきてもできるだけ使わない事にしている。
で、バスが来る大通りまで2ユーロで行った。たぶん、2.3キロだった。


しかし日差しが強く、暑い。そこの大通りは日陰がないのでけっこうきつい。
私は大丈夫だが子供たちが心配だ。バスもいつくるかわからないようだ。
しかも周辺の景色は潅木がまばらにあるが、以前使用されていたであろうシェルターがたくさん残っている。このバルカン半島の過去が露骨に残っているのだ。

で、暑いから下の娘がタクシーに乗ろうと言ってくる・・・
もうちょっと待ってみよう。そんな目で見つめないでくれ・・・

15分ほどでなんとか来てくれて助かった。30分待ってもこなかったらタクシーを使うつもりだったどうしようもないオトコ。

バスでも1000支払ってあげた。1ユーロが200だとこの時点で言っていたのでまぁ良いかと思ったのだ。後でわかったが1ユーロは120だった。つまり8,5ユーロほど支払った事になる。まぁいいんだ・・・

景色はそんなにマケドニアと変わらない気がした。しかし国境というのはよくできている。山で仕切られているのがはっきりわかって納得がいく。しかも両国の人は口を揃えてまったく違う言語で文化だという。後で調べたら納得がいった。
アルバニアのWIKI
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%8B%E3%82%A2

休憩が一度あった。
何もいらなかったし、何か買ってやろうとは思っていたが私が買わないとみんなも遠慮しているようなので売店でアイスクリームを買ったらそれぞれ手に取って、それぞれスナック菓子とガムも選んでしまっていた。それで800ほど支払った、6,5ユーロの無常。

あー私はどうしようもない間抜けなオトコだ!
しかし、あー出してしまう無常!

かわいい娘二人の相対するコンビネーション、母親の徹底マークに完全に翻弄されている!
わかってはいるがどうすることもできないもどかしさ。
こういう男がキャバクラとかにはまってしまうのだろう。

 

母親もそれを充分わかっているのだ。女はみんなそういう才能があるのを知っている。
下の娘は10歳、上は14歳だがスタイルもいいしファッションセンスも良い。
母親は37歳だという。マケドニア人だがアルバニアの男と結婚して娘を連れて帰省していたらしい。
両国の婚姻はけっこう多いらしい。理由は不明だがあれの影響もあるのだろう。

そして1時間ほどでアルバサンの街に到着。

ここでその家族と別れた。母親は下の娘はどうだと何度も言ってきたが最後も念を押して聞いてきた。
頼むから念をおさないでくれ、、、はいって言ってしまいそうではないか!
しかも娘も満更でもないようで嬉しそうなので勘弁してくれ!

なんとか断ったらイチオウ上の娘ならどうだと聞いてくるのだ。。。

私はそこで持っていたビッグビールを飲みながら座って見送った。
下の娘は何度も振り返ってその度に手を振り合った。
小さく見えなくなりそうになって最後に娘は振り返って手を上げたのが最後になった、無常の別れ。


まぁ全部で25ユーロほど遣ってしまったが仕方が無い。
時刻は15時。
とりあえず歩いた。
きた!チンチョンチャンだ。イランなどで頻繁にあるバックパッカーの初歩的なあれだ。これはなんとかクリアーできた。
まずは電話しなければならないが・・・

ついにアルベニアに来たのだ。
とりあえず歩くと城の跡地に大きな公園があったのでそこでゆっくり過ごした。
電話をネットのスカイプからしようと思い、WIFI無線が入っているカフェに入ってみたが飛んでない。ジュースを80で飲んだ。

ネット屋はけっこうあって1軒に入った。
しかしスカイプでは電話に出てくれないのか、それとも時間がまだ早いので忙しいのか。とりあえず30分40で切り上げて、ハンバーガーを食って公園の汚い芝生の上で昼寝などした。このハンバーガー屋は毎日行くことになる。

午後8時。気がついたら時間が経過していた。まだ明るい。私はケチなので貧乏旅行だが、こういうスタイルは地面と近くなるので現地人とも自然と距離が狭くなる。いいのかどうか。まぁそれでまたネット屋に行ってスカイプで電話するが出てくれない。

まずい、ちょっと焦りつつ電話できるとこを探したがない。公衆電話はあるが硬貨が使えない、またテレホンカードを買うのは勘弁して欲しい。
携帯屋に入って、頼むからあなたの電話で掛けさせてくれと懇願したらなんとかできた。
230円ほどしたがまぁ良い。

さっきの公園のゲートで大きな犬を連れて待っているという。楽しみだがどうなのか。なんせ今回は女性だからな。
さっき電話では携帯屋のお姉さんと代わって話してもらったがアルバニア語は話せなかったのだ。

女性発見。
どうやらアメリカ人でこの国とはなんの関係もないらしい。
数日前のマケドニアの日記でも出てきたアメリカの団体ピースコープで働いているらしい。しかも同い年だった。

彼女の家は一軒家で広くて快適だった。
私は個室が与えられたし、宅内無線も入っていたのでネットもやり放題なのだ。
英語が上手すぎるのでびびってしまう。これは後でもきつい事になってしまうのだ。














時刻は夜の23時。
とりあえず外の小さな商店でビール100、タバコ100を購入して、数日振りのシャワーを浴びさせてもらって就寝。

私はニヤニヤしていた。なんせこういうのが昔も多かったからだ。
ポケットベルとかプリクラとかが流行った時代の話だ。
もうこれ以上は言わないが。。。



トラックバック:0 | コメント:0 | ページ上へ











管理者にだけ公開する

© 2005-2008 海外旅行をしながら収入ほしい<アフィリエイトで世界一周>